終活コラム
vol.70
終活というイベントにどこまで参加しますか?
近年、「終活」という言葉をよく耳にするようになりました。よく耳にする割には、実態のわからない終活。もしかすると、一種の広告のようなものなのかもしれません。 「ハロウィン」の日はまるで日本でも大昔からやっていたかのように、みんなが仮装パーティーをするようになりました。もちろんバックには商売として様々な人たちが流行を作るべく奔走していたのだと思います。さらにさかのぼればクリスマスやバレンタインだって同じです。商売ありきです。しかし、そのイベントに乗っかることは、決して悪いことではありません。「そんなことにお金を使うなんてバカみたい」と斜に構えるよりも、楽しんでしまったもん勝ち、ですよね。
終活も同じで、そこに大金を払うのは得策ではないにしても、ちょっと覗いてみたり、乗っかってみたりするのは悪いことではないはずです。何せ、「死」というのは「ハロウィン」よりも確実に、誰にでもやってくることなのですから。 では、終活とは一体何をすることを指すのでしょうか。終活普及協会曰く、「人生をしっかりと見つめ、考えること」なのだそうです。具体的に幾つかの項目も挙げられています。例えば、「エンディングノートを書くこと」「葬式の費用、内容を決めること」「墓について決めること」「財産をどうするかを記しておくこと「自分の荷物を整理すること」などです。 自分が死ぬのにも、ただでは死なせてもらない、というかたくさんやることがあるのですね。私はこれを見た時は正直、うんざりしてしまいました。もちろん家族に大変な迷惑をかけて死ぬということは避けたいですが、そこまでガチガチに項目を作って、「このタスクをこなさなきゃ死ねない!」なんて思いながら生きていたくはないですし、家族だって、死んだ人に対して「迷惑!」だなんてなかなか思わないでしょう。
現実的に考えて、やっておくべきことは、「(墓、葬式などの)方向性を家族と共有しておく」ことと「財産分与は明確にしておく」ことぐらいではないでしょうか。何も墓や葬式について具体的に段取らなくても良いですし、自分の葬式や墓は自分にはカンケイノナイコトなので、家族が迷わなくて済む程度の方向性を話しておくと良いかと思います。 財産分与に関しては、具体的に記載しておくなどしなければ、後で面倒になる例は多くありますので、こちらはやっておいたほうが良いでしょう。 いずれにせよ、ハロウィンのイベントの時に、全身仮装をしたい人もいれば、耳だけつけて参加したい人もいますし、全く参加しない人もいます。全員がゾンビメイクで街を歩くことを強制されることはありません。周囲の「〜をしなければ」ということにとらわれず、自分でどれだけイベントにコミットするかをまずは考えてみてはいかがでしょうか。 まずは、人生を楽しむことこそが、終活と言えるかもしれません。