臨済宗妙心寺派
天澤院
てんたくいん
サブスクのお墓
天澤院の歴史
元々、この地には飛鳥時代より、中林寺、厚見寺などと称した寺院が存在し、その後廃寺となっていたという。1468年(応仁2年)、美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山。後花園上皇より、山号の勅額を賜る。1470年(文明2年)に七堂伽藍が完成し、土御門天皇により、準十刹に列せられる。美濃国尾張国を中心に、東海派禅門の古道場として知られていたという。1500年(明応9年)以降は、悟渓宗頓国師の弟子たちが輪住制で寺を守っていたが、永禄4年(1561年)に斎藤義龍が妙心寺派のうち、霊雲派の別伝宗亀によって国内の妙心寺派を統制しようとした際にはそれに反対し、住持であった速伝宗販は快川紹喜らとともに犬山の瑞泉寺へ一時逃れた。1567年(永禄10年)の織田信長の岐阜城攻略、及び1600年(慶長5年)の徳川家康の家臣福島正則らによる岐阜城攻略により焼失する。1747年(延享4年)に輪住制が途絶え、一時荒廃するが、1806年(文化3年)、隠山禅師により再建される。1945年(昭和20年)の岐阜大空襲により焼失する。その後、順次再建されるが、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風で損害を受ける。その後も再建が続けられる。1992年(平成4年)に本堂が改築され、2005年(平成17年)に耐震補強工事が行われて新聞などにも取り上げられた。
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