新義真言宗

龍昌院

りゅうしょういん

龍昌院(りゅうしょういん)
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宗派
新義真言宗
所在地
群馬県伊勢崎市境伊与久1537

龍昌院の歴史

一六〇〇年(慶長五年)九月十五日、徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とする西軍、美濃北部「関ケ原」で激しい戦闘を繰り広げた。家康は松尾山に向けて威嚇射撃をさせ、驚いた小早川隊は一気に山を下ると、大谷吉継隊の側面から襲いこの戦いで大谷西軍は負けた。この大谷平馬吉継の孫の五衛門隆昌が母と共に伊与久に蟄居。廐橋城主、酒井公に奉仕、大阪冬の陣と夏の陣に出征この功績を認められ、徳川幕府より五十石を拝領、伊与久郷に除地受領した。出家し龍昌(隆昌)院を建立したと伝えられている。裏山にこの隆昌の墓地がある。


交通アクセス

電車

東武伊勢崎線「剛志駅」より徒歩9分

バス

堺シャトルバス「伊与久二区」より徒歩3分

お車でお越しのお客様

関越自動車道「寄居スマートIC」より31分

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