臨済宗
龍津寺
りゅうしんじ
サブスクのお墓
龍津寺の歴史
当山は臨済宗妙心寺派の寺院です。
その創建は明らかではないが、残された史料によれば、慶長13年(1606)に藤堂高虎公が津の城主となって、伊予(愛媛県)の高僧、乾峯和尚を拝請して住職としたのです。
その後、正保4年(1647)には大伽藍が完成して、十有余カ寺の末寺を持つ中本山の寺格となりました。
その後も代々勅任の和尚が住職となり、京都の大本山妙心寺管長に選任される名僧が輩出するなどして、全国より雲水が多数参集し、教義の宣揚と禅の修養道場となり、また城下随一の武士の子弟や庶民の学山となりました。また歴代藩主の帰依崇敬極めて篤く、特に天明の頃に住職された第6世径山和尚は約7万坪の広大な寺域に、七堂伽藍を完成し、その名声は四海に轟いたといわれております。
その後も幾多の改修をしながら法燈を繋いでおり、幸いにもその後の太平洋戦争の戦火をも免れて、昭和27年(1952)には本堂の仏間を修理し、ほぼ現在の伽藍配置となったのです。
現在の本堂の資材は安永6年(1777)のもので、約240年前の物です。現存する梵鐘は径山和尚時代のものです。他境内には、山溪地蔵尊、延命地蔵尊、納骨永代供養塔に寂光地蔵尊が安置されています。令和元年には諸堂の改築改修を完了しております。
交通アクセス
最寄駅
近鉄名古屋線『津新町駅』より徒歩10分
バス
三重交通『西新町バス停』より徒歩1分
お車でお越しのお客様
伊勢自動車道 津IC出口より車で5分