臨済宗
明泉寺
みょうせんじ
サブスクのお墓
明泉寺の歴史
明泉寺(通称大日寺)は、山号は天照山、大日さんで知られ牛の寺としても信仰を集めている。
寺伝によれば天平年間、行基菩薩(668〜749)が西代の蓮池を拓かれた際の創建と伝えられ、蓮池の水源である上流の地、現在の大日丘に自刻の大日如来の尊像を祀り、明泉の永久に尽きることのないよう祈願されたのが始まりである。
長田村から白川村を経て太山寺へ通じる長坂越東山の古明泉寺大日丘の地にあったが、寿永3年(1184)2月7日明泉寺合戦に平盛俊が陣を布き義経の来襲に備えたため戦火で焼け、観応2年(1351)赤松判官光範公によりこの地に復興された。また16歳の平知章(ともあきら)が父知盛を助けて逃れさせ、討ち死にしたのは当寺の北の谷、モンナ池の辺りで薮の中に塚があったのを神戸史談会会長木村昇三氏等の手によって境内に移し五輪塔として祀っている。
交通アクセス
最寄駅
神戸高速鉄道『高速長田』・市営地下鉄『長田』よりバス、タクシーで10分
神戸電鉄有馬線「長田駅」より徒歩11分
バス
市バス4・40系統『大日寺前』バス停より1分
お車でお越しのお客様
阪神高速3号神戸線湊川出口より15分