曹洞宗
医王寺
いおうじ
医王寺の歴史
名古屋は、古く「那古野」と書く。戦国時代は東西両勢力の狭間で揺れた。
それを制して、天下布武を敷いた織田信長の家臣・山口新太郎(一説に山口明長)は、新屋敷に西城を構え、姉川合戦で活躍したといわれる。
この新屋敷西城跡に、医王寺が堂宇を構える。
名古屋市「南区の歴史」によると、熱田の円通寺末『寛文村々覚書』には「寺内年貢地、庚申堂地内前々除く」と記す。天正2年(1574)創建と伝える。
熱田の円通寺は、弘仁年間(810~824)の創建。開祖は三尺坊の道風を慕って師弟の義を結び、羽休の神号を授かり俗に「羽休三尺坊」と称す。
一方、寺伝には元亀元年(1570)開創と伝う。
本尊の薬師如来は伝教大師作にして日本三薬師の一つで、姉川の合戦で傷ついた城兵が霊験を蒙って忽ち治癒してより、人々の篤い信仰を集めた。
以来、連綿と法灯を護持す。
昭和60年、総欅造りの本堂を竣工した。