曹洞宗
宝光寺
ほうこうじ
サブスクのお墓
宝光寺の歴史
当山は新発田藩主溝口家の菩提寺です。
初代藩主秀勝公は、天正11年(1583)加賀の大聖寺城主になられると、雪堂元初和尚を招き大麟寺を開創、その後秀勝公の新発田入封とともに慶長3年(1598)に新発田五十公野の地に移り、秀勝公(慶長15年没)のご戒名に因んで寺号を淨見寺と改め、2代宣勝公のときに現在地に新伽藍が建立されました。
更に、5代将軍綱吉が没し常憲院と号したため、同音を避けて宝光寺と改称、現在に至っています。
県有形文化財に溝口家代々の守護仏である勝軍地蔵が、市有形文化財に歴代藩主肖像画十二幅、弘化2年(1845)復興の山門、阿弥陀如来木像、新発田藩版の版木、溝口家墓所、輪蔵形式の経蔵が指定されています。
推定樹齢約400年の「城東窟の桜」は市保存樹木に指定されており、3代将軍徳川家光公から寄進されたものと伝えられています。
交通アクセス
最寄駅
JR白新線・羽越線『新発田駅』より徒歩8分
バス
大形線[新潟交通]『中央町バス停』より徒歩2分
お車でお越しのお客様
日本海東北自動車道『聖籠新発田IC』より10分