曹洞宗

正傳寺

しょうでんじ

正傳寺(しょうでんじ)
正傳寺(しょうでんじ)
正傳寺(しょうでんじ)
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宗派
曹洞宗
所在地
埼玉県白岡市上野田328

聖徳太子ゆかりの正傳寺

白岡町上野田の正傳寺に伝わる聖徳太子由来記によりますと、この寺は岩槻城主代々祈願の尼寺であったらしく、時の城主北条氏房公が摂津の国四天王寺より聖徳太子御自作の御画像(日本三太子の1つといわれる)を請来し正傳寺に奉納したといわれています。
従って大変古い年代に建立されたものであろうという推定ができます。しかし、その後天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの時遠く武蔵国のここ正傳寺まで火の手がのび焼き払われてしまったとか。しかし、太子の御像は不思議にも大木の洞より発見され事なきを得たので、村人はその霊感に驚き堂宇を建立して奉安したということです。
正傳寺は山号を聖徳太子ゆかりの寺ということで聖徳山と称し近くの大徳寺の末寺でした。開山は関翁重銕禅師ですが、4世の大長益全禅師は特に徳が高く宝暦12年(1762)に他界されましたが、いまわのお言葉として「私が亡くなったら多くの人達が困るだろうが、私の墓にお詣りし願いごとをすれば必ず病を治してあげよう」とおっしゃって亡くなったということです。
その後その言葉の通り誠に霊験著たかで特に婦人や下の病で難儀している人々の信仰が厚く、三詣の人が絶えないで今日に至ったといわれています。
寺では、正傳寺を復興させた功績によって大長益全禅師を中興開山として敬っています。
開山上人はどこの寺院にも必ずいますが、この付近で「開山様」といえば「野田の開山様」つまり正傳寺の中興開山を指す、とさえいわれています。
正傳寺の先住覚成禅師は荒れ果てていた庫裡を建て直し、墓地を整理し、中興開山の開山堂を建て直し、更に本堂建立の発願をたてましたが、その機熟せず延引していたところ、平成4年11月に関係者の協力により見事本堂を落慶することができました。
正傳寺の周辺は、屋敷林の中で昔ながらに平穏な生活をしている農家や、特産の梨の畑に囲まれており、改築前は3間4面ほどの仮本堂でしたが、新本棠は木造銅板葺き向拝付き間口8間奥行7間建坪56坪余の堂々たる構造で、寺院建築で経験の多い久喜市の佐野工務店の施工となっています。
聖徳太子は昔から特に職人衆の信仰が篤く「太子講」といって寄合の度に聖徳太子の御姿の軸を掛けてお祈りするとともに、手間賃の相談などもしていましたが、その御軸のほとんどが正傳寺で発行したものを用いていたそうです。


交通アクセス

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