曹洞宗

洞光寺

とうこうじ

洞光寺(とうこうじ)
洞光寺(とうこうじ)
洞光寺(とうこうじ)
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宗派
曹洞宗
所在地
島根県松江市新町832
URL
http://matsutou.net/

洞光寺の歴史

洞光寺は、戦国武将の尼子家を開基とするお寺であり、尼子経久公が亡父清定公の冥福を祈り、金尾の地・富田城の麓に新しく一宇を建立したのが始まりです。
亡き父の戒名から、寺号を金華山洞光寺と称して尼子氏の菩提寺となりました。経久公の時代には、山陰山陽十一州を治めたといいます。

永禄9年(1566)富田城は落城し、その後毛利元就は寺領百貫文余を寄進し、代々厚く当寺を外護しました。
天下分け目の関ヶ原の戦いの年、慶長5年(1600)に堀尾吉晴が富田城に入り、松江移城、慶長12年(1607)着工、16年完成に伴い、慶長13年秋、当寺七世嶺頭正碩和尚の時伽藍は松江に移転されました。

「松江ゆかりの文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)」が愛した寺でも有名で、八雲の著書『知られぬ日本の面影』にも紹介されました。
現住職は39世で、出雲部一帯には24ヶ寺の末寺を有しています。

交通アクセス

最寄駅

JR山陰本線『松江駅』より徒歩20分

バス

玉造線[一畑バス]『幸町バス停』より徒歩3分

お車でお越しのお客様

安来道路『米子西IC』より30分

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