曹洞宗
洞光寺
とうこうじ
洞光寺の歴史
洞光寺は、戦国武将の尼子家を開基とするお寺であり、尼子経久公が亡父清定公の冥福を祈り、金尾の地・富田城の麓に新しく一宇を建立したのが始まりです。
亡き父の戒名から、寺号を金華山洞光寺と称して尼子氏の菩提寺となりました。経久公の時代には、山陰山陽十一州を治めたといいます。
永禄9年(1566)富田城は落城し、その後毛利元就は寺領百貫文余を寄進し、代々厚く当寺を外護しました。
天下分け目の関ヶ原の戦いの年、慶長5年(1600)に堀尾吉晴が富田城に入り、松江移城、慶長12年(1607)着工、16年完成に伴い、慶長13年秋、当寺七世嶺頭正碩和尚の時伽藍は松江に移転されました。
「松江ゆかりの文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)」が愛した寺でも有名で、八雲の著書『知られぬ日本の面影』にも紹介されました。
現住職は39世で、出雲部一帯には24ヶ寺の末寺を有しています。
交通アクセス
最寄駅
JR山陰本線『松江駅』より徒歩20分
バス
玉造線[一畑バス]『幸町バス停』より徒歩3分
お車でお越しのお客様
安来道路『米子西IC』より30分