福応寺
ふくおうじ
福応寺の歴史
福応寺の開山は慶長六年(1601年)となっていましたが、最近見つかった古文書によりますと『天台宗の恵心僧都が開山した』と記されています。はっきりとした年代は記されておりませんが、平安時代中期の開山だったとされています。
恵心僧都(942年~1017年)は、全国を行脚し布教をされた、平安時代中期の天台宗の高僧です。また浄土真宗では七高祖のうち、第六祖とされ、源信(げんしん)和尚や源信大師と呼ばれています。恵心僧都により平安時代に開山された福応寺は、当時「頭眼山福應寺」という名前で、天台宗の寺院でした。
『ご本尊は慈覚大師(794年~864年・第三代天台座主)の作られた観世音である』
『その後、藤原安忠・森野叶右衛門に修復させたが、火災で燃えてしまい頭部のみが残っている』
と古文書に記されていましたが、残念ながら現在では何も残っていません。また、『山内には阿弥陀堂があり、本尊は恵心僧都作の無量寿仏であった』との記載もありました。こちらも『阿弥陀堂の古仏が売り払われた』『阿弥陀堂が火災で焼失した』と続いていましたが、現在は恵心僧都作の無量寿仏も阿弥陀堂も存在していません。
その後、『久しく荒れ果てていた福應寺と申す古跡に小さな庵があり、出家僧が一人安居のように住んで居た。その後は禅僧が来て入庵し、(本堂を)寛永十八年(1641年)に建立した』と記されています。この時代が禅宗・臨済宗としての慈眼山福応寺の始まり(1601年)だと考えられます。
また、当寺の本山である方広寺に残っている約200年前の資料によると、江戸幕府より一石一斗の朱印状を頂いていた、「朱印寺」であったとの記録もあります。
交通アクセス
電車
遠鉄バス・浜松バス共に『福応寺』バス停下車、徒歩1分
遠鉄バス61番「内野台線」
浜松駅~上島~福応寺~サンストリート浜北~浜北西高校
遠鉄バス100番「浜北医大三方原聖隷線」
浜北区役所~小松駅~福応寺~染地台1.2.3丁目~医科大学~聖隷三方原病院
浜松バス「あらたまの湯線」
西坂整形外科~福応寺~サンストリート浜北~なゆた浜北駅~宮口駅~あらたまの湯
お車でお越しのお客様
- 「エディオン浜松半田町店」手前の交差点を北上
- 最初の交差点(染地台1丁目)を右折
- 450m東進し到着
- 「浜北警察署入口」交差点を西へ
- 1km西進し、エッソの交差点(内野西)を直進し到着