浄土真宗本願寺派

勝林寺

勝林寺(しょうりんじ)

サブスクのお墓

勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ)
勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ) 勝林寺(しょうりんじ)
宗派
浄土真宗本願寺派
所在地
奈良県宇陀市菟田野東郷141
URL

勝林寺の歴史

延徳年間の頃(1400年代後半)本願寺第8代蓮加上人が、大和に巡錫され、吉野飯貝に本善寺を建立し、熱心に伝道教化を行われ、多くの道俗を一向宗(浄土真宗)に帰属させられた。
同じ頃、蓮加上人の命により上人の高弟 勝林坊照恵が、宇治志村(現 兎田野区宇賀志)に一宇を建立し、近隣の伝道教化にあたられた。 照恵の意思を継いだ2代正願の娘婿に佐々木頼英(先祖は佐々木盛網)を向かえ、頼英は得度して浄順と号し坊を護持していた。
これに先立つこと約80年前の永正14年(1517年)7月大雨により芳野川が氾濫し、芳野・東郷・松井・古市場等の諸村は荒蕪の地となる。 被害の状況は巾280m.長さ3927m.とあり、芳野谷付近一帯が破壊的な状態であったと想像される。
それ以来荒廃していた村々を宇陀松山城福島掃部守孝晴が憂い、この復興を浄順に命じられた。浄順はこの命を奉じて自坊を東郷村に移し、村人を説き人夫を集め日夜労苦と深慮を重ね、約10年の歳月を費やし、ついに復興を成し遂げた。
福島掃部守はこの功績に対し、坊を勝林寺と号することを許し、慶長15年(1610年)2月東郷を寺内となして付近一帯を寺領とし「竹木伐採勝手たるべし」との墨付きを下賜された。以後城主が代わるたびに更新に預かり、これを以って勝林寺の基が固まり宇陀・吉野一帯の主要寺院となった。

地図

  

交通アクセス

バス

・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「松井橋バス停」から徒歩8分
・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「松井天神社バス停」から徒歩9分
・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「菟田野バス停」から徒歩10分

お車でお越しのお客様

・西名阪自動車道 郡山ICより57分

のうこつぼを探す

どんなことでも
お気軽にお問い合わせください。

オンライン資料のお申し込み 資料請求・お問い合わせ LINEでのお問い合わせ