浄土真宗本願寺派
勝林寺
しょうりんじ
サブスクのお墓
勝林寺の歴史
延徳年間の頃(1400年代後半)本願寺第8代蓮加上人が、大和に巡錫され、吉野飯貝に本善寺を建立し、熱心に伝道教化を行われ、多くの道俗を一向宗(浄土真宗)に帰属させられた。
同じ頃、蓮加上人の命により上人の高弟 勝林坊照恵が、宇治志村(現 兎田野区宇賀志)に一宇を建立し、近隣の伝道教化にあたられた。
照恵の意思を継いだ2代正願の娘婿に佐々木頼英(先祖は佐々木盛網)を向かえ、頼英は得度して浄順と号し坊を護持していた。
これに先立つこと約80年前の永正14年(1517年)7月大雨により芳野川が氾濫し、芳野・東郷・松井・古市場等の諸村は荒蕪の地となる。
被害の状況は巾280m.長さ3927m.とあり、芳野谷付近一帯が破壊的な状態であったと想像される。
それ以来荒廃していた村々を宇陀松山城福島掃部守孝晴が憂い、この復興を浄順に命じられた。浄順はこの命を奉じて自坊を東郷村に移し、村人を説き人夫を集め日夜労苦と深慮を重ね、約10年の歳月を費やし、ついに復興を成し遂げた。
福島掃部守はこの功績に対し、坊を勝林寺と号することを許し、慶長15年(1610年)2月東郷を寺内となして付近一帯を寺領とし「竹木伐採勝手たるべし」との墨付きを下賜された。以後城主が代わるたびに更新に預かり、これを以って勝林寺の基が固まり宇陀・吉野一帯の主要寺院となった。
地図
交通アクセス
バス
・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「松井橋バス停」から徒歩8分
・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「松井天神社バス停」から徒歩9分
・奈良交通古 市場線・榛原東吉野線10・15「菟田野バス停」から徒歩10分
お車でお越しのお客様
・西名阪自動車道 郡山ICより57分