浄土宗
浄恩寺
じょうおんじ
ペットと一緒
- 宗派
- 浄土宗
- 所在地
- 和歌山県田辺市古尾25-12
浄恩寺の歴史
田辺城跡の川向、熊野街道沿いにある当山は、3軒のお寺が軒を並べており、昔から「江川三ヶ寺」と呼ばれております。
開山は天正9年、光誉岌山上人により御所谷(現在地より西に500m)に創建され、慶長13年に秀誉良山上人により現在地に移転されました。おそらく田辺城を守るため、城へ向かう橋のふもとに三ヶ寺を移し、もしもの際の防御施設としてお寺を集めたのではなかろうかとされています。
「時の鐘」は正徳4年から、「常念仏」は正徳5年から、いずれも明治4年まで150年以上にわたって続き、今も入相の鐘(日暮れどきにつく鐘)をついております。
また、総本山知恩院第83世門跡であった量誉信宏上人は、当山の第20世住職。ほか、当山開基以来の著名な檀信徒として、紀州備長炭の創始者・備中屋長左衛門と弓の和佐大八郎が挙げられ、3名いずれも墓碑を境内にお祀りしております。
今日、日本中の料理店などで重宝される備長炭は、備中屋長左衛門が開発したもの。
その恩を報じ、先祖の供養をしたいと鋳造されたのが、当山敷地内にある大仏様です。
三十三間堂通し矢天下総一の弓士・弓の和佐大八郎は、当時京都の三十三間堂で行われていた通し矢の大会に、紀州藩を代表して出場。一昼夜に8,133本を通し、日本総一の偉業を成し遂げ、その優勝額は三十三間堂に掲げられています。
交通アクセス
電車
JR紀勢本線「紀伊田辺」駅より徒歩18分
バス
みなべ線「江川大橋」バス停より徒歩2分
お車でお越しのお客様
「南紀田辺IC」より車で5分